2011年3月4日金曜日

ネットの実名と匿名と、密結合と粗結合 (twitter の"次"が facebook?)

1. 密結合と粗結合が作り出す複数のネットワークの構成

人のつながり方の密結合と粗結合について、これまでにいろいろと書いているけれど(人のつながりにおける密結合と粗結合)、そのつながり(結合)によって構築されるネットワークについて考えてみた。
特に今いろいろと話題(問題)になっている facebook と実名性でのネットワークと、それに対応する匿名空間について考えたいと思います。

人のつながり方の密結合と粗結合については、まえの記事で書いたけれど(人のつながりにおける密結合と粗結合)、その粗密に関係する要素の「背景情報の共有度」は結構重要なことで、特に (1) 実名か (2) ハンドルネームか (3) 匿名か、という部分は各種エンジンで簡単に検索して名寄せできるネット上では重要になりますし、この 3 つのどれがネットワークを主に構成しているかでネットワークの性質が異なってくるように思います。
 具体的には、(1) 実名の場合には密で現実に(いい意味でも悪い意味でも)裏打ちされたネットワーク、(2) ハンドルネームではやや緩いけれど、継続性を持ったネットワーク、(3) 匿名だと粗結合で自由度が高いけれど、継続性がない関係性になって、現在のコミュニティの性質をよく繁栄しているのではないでしょうか。

個人的な認識ですが、現実の関係やネット上の関係を含めた、人と人とのつながりの構造、ネットワークの構成を図にしてみました。



2. 密結合と粗結合が作り出すネットワークの性質

結合が密な実名層は、実社会に張り付くように存在し、結合は強固でローカルな楽しさがあります。反面、その関係から離れにくかったり、社会的な立場やその他の考え方が異なると似た趣味でもなかなかつながりを作れない、友人関係や印象等いろいろと配慮をしなければいけない、など実社会を超えたつながりを、特に動的に作るのには不都合な点が多いです。
一部の仕組みで流動性も多少あるけれど、非常にソリッドで固体的なのが特徴かなと思います。

これに対し、匿名の関係性(blog のコメントで見られる匿名コメントや捨てハンドル、2ch での匿名コメント(ID がついていたりもするけど))は、趣味や嗜好、考え方で集まりクラスタリングできるけれど、つながりの持続性が弱く離散しがちで、何かの議論や話をする場合、同じ展開を何度も繰り返してしまったりします(その点、2ch ではテンプレート等で対応している様子)。
流動性が高すぎ、発散する非常に気体的な特徴があります。

他方、ハンドルネーム層は、継続的に同じ名前や ID を使うため、関係性やつながりはゆるく担保されるが、実名や実社会の関係に基づかないため、比較的関係を作ったり切ったりするのが簡単。そのため、比較的強いつながりが残り続け、同じような趣味や嗜好、考え方を持った人が集まりやすく、つながりを保持しつつクラスタリングしやすい。相手の情報も限定的なため、フラットな関係で話をしやすい。
また、継続的にハンドルネームを使用していると人柄がある程度わかるので、実名のアカウントともやり取りをしやすい。他方、何かあっても実社会への影響は起こりにくいため、比較的匿名層ともやりとりをしやすい
全体的な柔軟性と適度な流動性、クラスターを作るところからみて、とっても液体的(水のクラスターみたい。※ クラスターの小さい水を使うといい製品ができるとか、そういう擬似科学ではないです><)。
特に twitter ですと、実名でも匿名的にも使えるし、クラスタリングもかなりすばやく効きますし、クラスタを超えた伝播も多く、かなり優秀な液体ではないでしょうか?


mixi から、twitter への(一部の?)流れは、擬似同期的な速さの楽しさのところもあったかもしれませんが、上記のネットワークの性質の面から考えると、実社会に縛られずクラスタリングされる楽しさの部分が結構大きかったのではないかなと思います。mixi も実名から匿名へ、実社会に固まっていたところから流動性を高める方向に動いている(いた?)ようにも思います(ほとんど使ったことないので分かりませんが)。
また、同じような嗜好や趣味のクラスタの楽しさと、実社会からの強い束縛を保持しつつ、関係性や継続性の担保が欲しくて、2ch 等大規模掲示板から twitter に来た(メインを移した)人も(少しは?)いるように思います。


3. ネットワークを楽しむユーザーの視点で見て、twitter の"次"が facebook なの?

このように束縛されすぎず関係性を楽しめる液体的な特性のため、twitter が使われるようになってきた気がする(仮説)のですが、twitter の次は facebook だという人もいます。

関係性が流動的で、実社会の関係を超えて広く繋がれることを楽しむようになってきたつ言ったーユーザーは、また現実社会に張りつけられ(以前よりより強く?)束縛されたコミュニティに戻りたいと思うのでしょうか?あるいは、facebook で日常のつながりをより強固で動かしがたくしたいと思うでしょうか。日常のソーシャルグラフを活かしつつ趣味でつながりたいなら facebook よりいいサービスが他にあると思いますし(鍵かけて twitter 使うのもいいと思う)。
もちろん、人の好みによりますが、上で述べたような感性の人も多いように思いますし、twitter ユーザーが全体的に facebook のほうに流れるとはどうしても思い難いです。

実社会にへばりつく facebook は、実社会の関係性を強化するために使うほうがいいですし(距離や仕事が離れた友人との関係には便利ですね。これ以上密結合を密にする方向に進むのは、?という気がします)、流動的な twitter は実社会のクラスタを含みつつ超えて、オープンでフラットな立場でつながりを楽しむのに使うのがいいんじゃないでしょうか。

次は twitter だとか、次は facebook だとか、そういうビジネス的な視点での流行を信じて動くより、そのつながり方の性質を見て、自分の頭で考え、好みを決めるのが大事だし、楽しいんじゃない?

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